
今回は仕事が好きなアラサーOLがなぜFIREを目指したのか、その経緯についてご紹介したいと思います。
FIREとはアメリカで20~30代を中心に流行しつつある、経済的独立と早期退職を目標とするライフスタイルです。FIREの中にも様々なタイプがあるのですが、おおむね、週5日間9時から5時まで働くような典型的なサラリーマンを卒業することを意味します。
私はもともと仕事が好きです。外資系でフラット組織であることもあり、仕事で疲れたなあと思う事はありますが、会社に行きたくないと思う事はほとんどありません。
職場ではセルフコントロール感をもてており、自分の働く場所や時間はフレキシブルに自分で調整することができきます。
そんな私がなぜFIREを目指したいと思ったのか。
そのきっかけは子供の出産、そして保活でした。
「出産」を機に仕事100%のスタイルを脱却する必要があると感じた
独身時代は毎日朝から22時過ぎぐらいまでは働いていました。
体力的にしんどいと思う事はあっても任される仕事の大きさにワクワクしていましたし、自分でアウトプットを高めたいと言う気持ちから残業していたので、ストレスではありませんでした。
しかしながら子供を産み育休を経て当然これまでのように残業ありきのスタイルで働く事は難しいと感じるようになりました。
仕事は好きですが、本当にこの仕事は自分の子供と過ごす時間を削ってまでやるべきものなのか自分にしかできないことなのか、というふうに考えていくと答えはNOでした。
スティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」という問いはあまりに有名ですが、自分がもし明日死ぬとしたら間違いなく子供と家族3人で過ごすことを選ぶと思いました。
また同じ会社の中で働いていれば同じ年齢でマネージャーであるか、シニアマネージャーであるかは大きな差に感じます。正直なところ会社で同い年の人たちの中では早く出世できていると思います。しかしながら産休・育休で会社を離れて客観的にみると、職位の違いは大きな差ではないと感じるようになりました。
年収は200万円くらい違うかもしれないけれど、ライフスタイルが大きく変わるほどの差ではないと感じています。
「保活」を機に重要な意思決定を他人に委ねることが怖いと感じた
「保活」は考え方を見直す大きなきっかけになりました。
我が家は0歳4月の保活で希望していた全ての保育園に落ち、待機児童になりました。
比較的倍率の低いと言われている0歳で待機児童なので、1歳での入園は難しい。
絶望しました。
最終的には認可園に途中入園できたのですが、保育園が決まるまでの3カ月間、ポイントを稼ぐために認可外保育園 (家から近いものの雰囲気に難ありでした) に預け入れるべきか、ベビーシッターを呼ぶべきか、あるいは入園決定率が比較的高い区へ引っ越しをするか、など多くの可能性を考えつくしました。
本来であれば、大切な我が子を預ける場所や復職する時期は子供の成長や自分のキャリアを見極めながら決めるべきことなのに、たまたま住んでいる区の点数制度の中で重要な意思決定をせざるを得ないことに恐怖を感じました。
自分にとって重要な意思決定を、自分の努力ではどうしようもない影響の輪の外に追いやってしまっていると感じました。
自分の人生で大切なことを、自分の努力でコントロールしたい、そう強く思いました。
FIREの準備はリスクヘッジにもなる
長い人生、子供が不登校になり自宅でのサポートが必要になったり、難病を患い病院に通わなければならなかったり、これまでのように仕事を続けることが難しい日が来るかもしれません。
そのときに会社のルールや社会保障制度が必要となる新しいライフスタイルをサポートしてくれるとは限りません。
苦しい状況のときでも家族を迷わず最優先できるようになりたい。そんな思いから私はFIREを目指すことにします。
パラレルキャリア、家計の最適化、収入の複数本化などをテーマにブログを更新していきたいと思っています。
